アール・ヌーヴォー Art nouveau
19世紀末、ヨーロッパに花開いた新芸術アール・ヌーヴォー。その自然観に見せられて

    エミール・ガレ 日本人がガレのガラス工芸に親しみを感じるのは、ガレが、当時ナンシーに留学していた高島北海から日本人の自然観を学んだからかもしれない。

ルイ・マジョレル作『睡蓮の小型円卓』
 19世紀末のヨーロッパ各都市を華やかに彩ったアール・ヌーヴォー。産業革命以降、粗悪になった実用品に芸術性を取り戻そうとしたこの美術運動は、何もパリやウィーンといった大都市ばかりに栄えていたわけではない。特にガラス工芸においては、小都市ナンシーが一大拠点としてその名をとどろかせた。その立役者が、日本人にも人気の高いエミール・ガレ (1846〜1904年)である。

エミール・ガレ作『ギアナの森』  もともと鉱業が盛んなロレーヌ地方では、15世紀以来ガラス工芸が発達していた。ガラス職人だった父を継いで工芸作家になったガレは、19世紀後半に各地で開かれていた万国博覧会や装飾美術展に次々と出品。エッフェル塔が立てられた1889年のパリ万博ではグランプリを受賞し、その名声を決定的にする。

 ガレはまたガラス工芸だけでなく、陶芸や家具も手がけたが、いずれの作品も、日本をはじめとする東洋美術にヒントを得て、植物や昆虫などを装飾モチーフに取り入れた点で共通している。実はガレは、当時ナンシーに留学していた高島得三(のちの北海)と知り合い、彼を通して日本人の自然観を学んだという。ナンシーに花開いたアール・ヌーヴォーの出発点に、ひとりの日本人が関わっていたと聞くだけでワクワクしてくる。

 ガレのほかにも、ナンシーではガラス工芸のドーム兄弟や家具のルイ・マジョレルらが活躍し、1890年代にはナンシー派が結成される。そして1901年、ガレを会長に、産業美術地方同盟として正式にナンシー派が発足。現在のナンシー派美術館 Musee de l'Ecole de Nancyは、彼らのパトロンだったウジェーヌ・コルバンの私邸を改装したもので、ナンシー派を中心とするアール・ヌーヴォー作品がコレクションされている。 

アンリ・ベルジェ作『読書』  また、美術館だけでなく、街中に点在するアール・ヌーヴォー建築も見逃せない。ナンシーは地理的にはパリよりブリュッセルに近いため、有機的な曲線を多用するベルギーのアール・ヌーヴォー建築の影響が色濃い。優美なカーヴを見せる窓枠や植物模様の鉄骨細工の家は、まるでおとぎ話に出てくるようにファンタジックだ。19世紀に一世を風靡したアール・ヌーヴォーが、ナンシーでは100年を経た今でも色褪せてはいない。